体調は安定。出社は足取りが重い。
3年前のFBを読み直すと一応頑張って人生を戦っている感はあった。今の環境から変わるように何か動く必要があるのかもしれない。人生はずっと生きづらいままだ。
あくまでも個人に限定して、効用の最大化のために苦痛からの逃避にフォーカスを向けるとなると、やはり「責任を負いたくない」が一番だと思う。自分の道徳正義も危ういヤツに社会参画をさせるなよ。
人生は生きづらいと言い続けても現状は何一つ変わりはしない
イベント撮影前に嫁と喧嘩をしてしまう。最悪の気分のまま会場へ。SOSはいっぱい出してるけど多分これは甘えだろう。甘えずに生きていかなければいけない。
やりたいこと、買いたいものいっぱいあるし、鬱状態ではないことは確かなんだけど。「自分の幸せ」がわからないまま無為に生きていくのは情けなくて悔しい。社会や感情に対するヘイトだけがたまっていく。
眠剤を2倍量にする。生きる難しさを痛感
土曜は精神科。眠剤2倍はすんなりオーケーがでた。ストラテラでスケジュール先伸ばしは減ったけどまだ常人に比べると全然。
忙しかった仕事も形上は一段落。これから契約詰めてくのは地獄だけど、前の課みたいに朝4時に帰宅なんてこともないし、客に「死ね」「殺せ」って言われることもないので相対的には楽。でも隙あらば楽に死ぬ方法ばっかりを考えている。
安定した仕事、家で待っている家族。おそらく手に入れた物は今の時代じゃなかなか手に入らないらしいけど、毎日笑えるぐらい幸せ感じているかと言われれば微妙…。逆に報酬系壊れていること科学的に立証してもらいたい。
誰にも迷惑かけずに死ぬ方法、今一番望むのは不慮の事故、若しくは不治の病です。
病院行ったけど数値的には問題なし
中部病院へ
採血→眼科→内科→点滴の順
眼痛、だるさ、皮膚&睾丸つけ根の痛みを伝えるも数値的にはクリアだし問題なしとのこと。
発作の前兆っぽい時にはどうしたらいいのか、近くの内科で血液検査するべきなのかの質問には、前兆であれば対症療法(痛み止め)の処方だけになるとおもう。近くでも中部でも受診はできるが発作が出てない限りは細かい判断はできないとのこと。
一番懸念の物忘れは精神安定剤の影響かもと…これは精神科で聞くべきか。
病院では「なんでこんなに生きづらいんですか?」の答えはでない。じゃあ誰が答えてくれるんだろう。
皮膚が痛い
金曜日ODして午後帰宅。全然記憶がない。月曜出勤するのが怖い
土曜日眠ったのか眠ってないのか微妙な感じ。眠りにつく瞬間にものすごく恐怖感におそわれるのがキツイ
週末ずっと左手の皮膚が痛い。薬品かぶれっぽい感じ。映画見て笑って娘あやしてニコニコして家族の見てないとこで死について考える。生きる価値とは。大人として生きていくためにはどうしたら?
例えば俺が死んだとして
死んでしまった責任は誰にあるかというと、絶対責任は外部にはなくて。
俺のこの歪んだ認知と偏った知識と偏屈な性格によるものだと思う。
人間として生きるのに未成熟過ぎた上にこれからの発達も見込めないないし生きながら迷惑かけるのと死んで忘れてもらうのとどっちが皆は幸せなのか結構考える。
娘には悪いけど.パパいなくなった方がママも生きやすいだろうしストレス少ない暮らしができるんじゃないかな?嫁と娘だけは誰からの悪意にされされることなく素直に健康に生きてほしい。