漠然としてなおかつ遺書のようなもの

俺が死んだら見てほしい

しかし人生は変わったか?

2014年から今の仕事をやめる足掛かりとしてカメラの勉強して積極的にイベント行って夜中まで編集のためにPCに向かって、結果今があるとしたらどうなんだろう。

 

家族は大事だし失う想像はできないけど…

「幸福感」に関しては微妙なところがある。このポジション俺じゃなくてもいいのではないか。

 

食べ物に関して、「メチャクチャ美味しい‼」って感じたことなくて、社会的なポーズとしてそういうコメントするけど実際その味はしばらくたつともう思い出せない。また食べたいとも思わない。

 

睡眠もいくら眠ってもスッキリすることはなくて、日中眠いし朝だって本当は起きたくなくて夢を反芻している時間の方がよりリアルに自分の中の本質に近づいているような錯覚さえある。

 

性欲も義務的なオナニーしかしてない。

 

創作だって、自分と向き合って作ってはいない。発表したあとの皆のリアクションのことばっかり考えているし、実際いいリアクションだったとしても社会的なポーズの可能性を先に勘ぐってしまう。

 

明日を楽しみに眠りにつく。そんな日が訪れるだろうか。今日も多分眠れないからお薬追加して明日の仕事に備えなければ。幸せになれますように。みたいな本音は家族友達同僚上司には絶対口が裂けても言えないから電子の海に放流しよう。